人生の分岐点~独立ストーリー~

常連の女性のお客様のリクエストに

お応えして

たまには違うお話でも

他にも常連さんが読んでいるので(笑)


興味の無い方はスルーしてくださいm(._.)m



今の店を始める時

ちょっとしたイザコザがあった

そのお話をします
(もう時効かな)

文章が激長になると思います(汗)



最初は25歳の時

『N』というチェーン店の
『R』店でバイトで働き始めた

その前も色々あったが
それはまたの機会に(笑)

辞める時は社員だったが
そこの『R』店で6年働いた

料理の経験はあると言っても

魚を捌いたり

煮物を作ったりする事はできない程度だった

フリーターなので

週6日
13時から23時半までみっちり働いた

板長は職人らしい人格者で

腕前も素晴らしく

私は慕っていた

板長だけでは無く

社長を始め
従業員全員が優しく、家族のようだった


その『R』店で最初の奥さんを見つけ
(バツ1です(笑))

結婚式もR店で働いているうちにした

だが6年も働いていたのだが

6年いても

まかない(ご飯)も作らせてもらえない
お通しも作らせてもらえない
メニューも考えられない

店でのポジションは
どこでもできるようになったが

よそでは全く通用しなかったのだ

理由はNo.2の従業員のせいである

上記のように


自分が何かやろうとすると嫌な顔をし
自分が出来る人間だと言わんばかりに
自慢げに口を出して来る
(誰かに似てんな(笑))


そのせいで私は教わる気も無くしていた


辞める1年前に

板長が他の店の店長になり

仕方なくNo.2の彼が板長に

彼の日頃の言動を見ると

私には到底、納得出来ない事だった⤵

社長にも相談したが無駄で

より一層働きづらくなったのだ


このままここにいては

料理の腕も何も進歩しないと

意を決し辞める決断をしたのだ

社長には猛反対された

辞める寸前にも

他の店で店長代理でやらないかと

誘われたが決意は固かった



この決断が大成功で

次に働いた所で

自分の人生を変える人に

出会うことになるのである



次に選んだ店は創作料理の店

自分がやったことない

料理の店に行きたかったからだ

そこで出会ったチーフ

根は優しいのだが

仕事になると鬼のように怖かった(笑)


ちょっとチャラい系の創作料理の店なのに

寿司屋で修行を積んだ強者だった

魚は何でも捌けるし

自分がやってきた下処理や基本的な

仕込みなど、間違っている事が多く

知らない事のオンパレードだった


チーフ本人にも言ったが

『ここの3ヶ月は
    R店の6年に匹敵します』と

まさに頭をガツンと叩かれたようだった


入ってすぐの新人は
簡単な仕事をやらせるのがセオリーだが

このチーフは
初日に
どセンターのポジションをやらせるという(笑)

どんな難しい仕事でも躊躇せず
すぐやらせる人だった

他にも
なんでここにいるの?的な
超優秀な年配の職人(フレンチ、中華)が
週1とかで働いていて
毎日が勉強だった

そのおかげでメキメキと成長し

自分ひとりでも店ができるほどになっていた


しかしながら
成長させてもらったこの店は

1年で辞めてしまうのである

何故かと言うと

前のR店よりさらに時間が長いのと

休憩時間も食事時間も短い

タバコも当時は吸っていたので

ほとんど吸えないストレスもあり

オープンキッチンで

お客さんとの距離も近く

繁盛店だったので
営業時間もずっと気が休まる事がなかった


勉強になる事ばかりだったが

働く条件はとてもいいとは言えなかった

給料は前の店より全然高かったが(汗)


あとは前の店を辞めた理由が

理由だったので

6年間お世話になり

熱心に引き留めてくれた社長に

恩返しがしたいと思い

No.2がいない店で(笑)

という条件のもと復活したのだ


復活の場所は2店舗あり

好きな所を選んでいいよと言われ

これまた運命の分岐点だったが

自分の家より遠い

今の店がある同じ駅の『K』店で

復活を遂げたのだった

その時に
『最低でも10年はここにいます』

と宣言し骨を埋める覚悟でいた

1年前の3月25日に辞め
1年後の3月27日から働き始めた(笑)



働き始めた時、待っていたのが試練(笑)

そのK店は、ハッキリ言うと

『悪の巣窟』(笑)

店長も板長も不在で

平社員が仮の責任者

バイトリーダー的な日本人が幅を利かせていた

従業員は7人~8人

平社員を含め日本人が3人

あとは中国人だった

何が巣窟なのかというと


まず平社員も日本人のバイトリーダーも

営業中に平気で酒を飲む(笑)

もちろん金など払わずに

私にとって衝撃でした(汗)


出勤は13時からなのだが

まだ入ったばかりなので

鍵は渡してもらえなかった

なのでいつも私は12時半には

到着していたのだが

社員はいつも12時58分とか
ギリギリに現れ

下手すりゃ遅刻

バイトリーダーも

当たり前に遅刻(笑)

毎日30分ぐらい待たされていた⤵


オススメメニューも毎日変わらず

仕込みがめんどくさい物は全部冷凍物

仕込みも手抜きのオンパレード

掃除もしたりしなかったり

バイトの教育も適当

とにかく

店を良くしようとする意識はゼロだった


社員は引き継ぎした後に

違う店に行くと決まっていたが

残ったバイトリーダーが厄介だとは

入った初日に思った(笑)


しかし

こいつも排除する事に成功(笑)

何故かというと

タイムカードを不正して

いつも1~2時間

遅刻していたのにも関わらず

すべて定時の出勤になっていた

私はすぐに気づいていたが

1ヶ月は証拠集めの為、泳がせて

証拠が揃った所で社長に密告したのだ

レジ閉めもやっていたので

売り上げも抜いていた筈(これは憶測)

即刻クビになり

悪の権化が2人ともいなくなり

ついに平和が訪れたのであった(笑)



ここからが本領発揮🎵

残った中国人は

言わば奴隷から解放された感じであり

私に感謝していた

真面目でよく働くので

私も彼らを信頼し

力を合わせお店の信頼回復と

売り上げ向上を目指した
(のちに彼らと共同経営で
 今の店を始める事になる)


信頼を回復するまで半年かかったが

そのおかげで売り上げは右肩上がりになり

原価率などの内容も向上

そのチェーン店の中でも

万年お荷物だった店が

優良店にのしあがったのだった


順風満帆に見えた筈だったが

事件が起きてしまう…



私は慢性ヘルニア持ちで(まだ若いですよ❗)

19歳の時グキっとやったのを

知らんぷりしてほったらかしていたのである

ついでだからヘルニアの話もしましょう



のちに職を転々とし

トラックの運ちゃんをやっていた時に

ヘルニアが悪化し

1回目の手術をするのだが

あとからわかった事だが

この手術、実は失敗していたのだ

チューブを腰から入れ

髄液を吸いとる手術だったと記憶しているが

2回目の手術の時

ひどく炎症していたと言われた

この時23歳である


日に日に痛みは増し

症状としては歩けるのだが

5分ぐらい歩くと

下半身が麻痺したように力が入らなくなり

歩けなくなってしまう

少し休むとまた歩けるのだが

また歩くと同じようになってしまう⤵

ほぼ寝たきり生活になってしまったのだ(悲)



その期間なんと1年………



私はこの1年を人生の中で

無かった事にしている


そうじゃないと

23歳から24歳なんて

ノリノリで遊びまくる年頃

こんな大事な1年を

棒に振ったと思うとやりきれない


この1年の寝たきり生活の間

どこにも行かず、テレビも見なかった

見ると楽しい事ばかりで

自分には何も出来ない事ばかり

悔しくて見る気もなく

将来の事さえ何も考えず

ただただ今の自分に失望していた…


そんな息子を不憫に思ったのか

母親が親戚に金を借りまくり
(家は基本貧乏)

2回目の手術を受けさせてもらった

今回の手術は背中の腰のあたりを

メスでパックリ開け、手術する

本格的なものだった

この手術は成功で

3週間ほど入院

退院後1ヶ月ぐらいリハビリしたあと

ようやく仕事に復帰できたのである


で、話を戻すが

K店で順風満帆だったが

突然ヘルニアが再発してしまう

3度目の手術である


今回は、もう背中から開けられないので

内視鏡を腰からブッ刺し

飛び出たヘルニアをチョン切る手術である

3週間ぐらい休んだのだが

休んでる間

バイトにも迷惑かけたが

社長が尽力をつくしてくれたおかげで

店は正常に運営出来ていた


しかし❗ここからが
事件勃発(笑)


復帰したあと

社長が話があるというので

店で話すと

欠勤の給料の話だった

どうやら3週間の休みを

何日かおまけしてくれるという話だった

私は何もわからず

当時の彼女に話したら

『有給で全額出るよ』と言われ

自身も調べた所

5年間社員として働いているので

詳しくは忘れたが

確かに、3週間分有給でまかなえた


まずはそれを社長に話してもいいかどうか

幹部の社員と部長に相談した

2人とも賛同してくれた
(当然だが)


それを改めて話そうと

話す場をもうけてもらい

自分も怒る事もなく

普通のトーンで

『有給で全額出ますよね』

と言った

『知ってたの?』と言われたが

私は

『会社の為に尽くしてきました』

『よろしくお願いします』と頭を下げた

その場は『わかった』と言って

円満に話が終わったのだが……



後日

会議のあとに呼び止められ

社長と幹部社員と部長が残り

何を言われるのかと思ったら

真っ赤な顔をした社長に

『俺を馬鹿にしてるのか?』

と言われ

反論する間無く

罵声を浴び続けた…

何故そこまで激昂しているのか

訳もわからなかった

おそらく
私はそんな言い方はしてないが

『有給の事も知らないんですか?』

みたいな感じに思ったのだろうか


賛同してくれた2人が

助けてくれるのかと思いきや

腕を組んだまま目をつむり一言も喋らず



結局何がなんだかわからず

『どうもすいませんでした』

と社長に頭を下げざるを得なかった
(お金は全額出ました)


自分は
1ミリも間違った事はしていなかった

言い方もけして強気でも傲慢でもなく

『出してもらってもいいですか?』

的な気持ちだった…



この件で

完全に心が折れた

ずっと会社の為に尽くしてきて

遊んでいて怪我したとか

自分の不注意で怪我した訳でもなく

持病とはいえ会社で頑張った末に

腰が悪化し

店に迷惑をかけたくないがゆえに

限界まで我慢し、手術に踏み切ったのに…



人生で一番悔しかった瞬間だった

と同時に思った事は

『もうここにはいられない』

だった

その時

独立する前の9ヶ月前である




私が転職するかどうするか悩んでいる時

のちの共同経営者になる3人が

『店長について行きます』
『一緒にやりませんか』

と言ってきたのだ

私は以前の寝たきり生活のせいで

貯金が全然無かったので

独立するという考えがまるで無かった

さらにまた何日か悩んでいると

バイトが

『同じ駅でやったらどうです?』と言った

ハッ❗とした



悪いことだが

やり返してやりたいという気持ちは

正直あった



しかしこの発想が
背中を押したことは間違いない



そしてこの日から

極秘の独立プロジェクトが始まった


まずは資金集め

4人で必死でかき集め 

わずか8ヶ月で1400万集め


場所も駅の反対口に決まり

着々と進んでいた

バイトも共同の3人以外に

3人引き抜いた

やり返えすと言っても

ぐちゃぐちゃにしてから辞めるなんて

思ってはいなかった

ちゃんと代わりのバイトを補充してから

辞めさせた

共同の3人もきちんと

辞める1ヶ月前に報告し辞めさせた

自分のお金で買った飾りや

自分のお金で作ったメニューも撤収し
(自分でメニューを考え
通常メニューの1.5倍の量に増やした)

本来のメニューに戻した



常連のお客様にも声はかけたが

『ここのお店はもう来ないでくださいね』

と言ったり

『サービスするんで絶対来てください』

など不利になるような言い方はしなかった

普通に

『新しい店をやるのでよければ来てください』

と言っただけである

チラシや名刺を店に置いたり

地図を店に貼ったりなど

そういうルール違反的な事は一切しなかった

お店を選ぶのは

あくまでお客様自身なので

新しい店がよくなければ

来なくなるのは必然で

同じ駅でやるのは卑怯かも知れないが

自分自身も店をオープンしたら

隣に新店がオープンするかも知れない



どこでもそうだが

生き抜く為に必死でやらなければ

生き残れない世界なので 

お互い様なのである



順調に進んで行き

辞める3週間前まで来た頃

またもや事件勃発❗(笑)


どこからか話が漏れ

あろうことか

独立プロジェクトがバレてしまったのだ(汗)


そこから怒涛の反撃を受ける事に(笑)

まず前のK店が使っていた全業者に

号令がかかり

『私と一切付き合うな』

『私を助けた業者は一切取引しない』と

半ば脅しのような圧力がかかったのだ



そして前の罵声を受けた時のように

3人に呼び出され

公開処刑が行われたのだ(笑)

今だから笑える話ですね



まず
『ふざけてんじゃねーぞ❗この野郎❗』の

怒声から始まり

頭突き(笑)
(傷害で逆に訴えようと思ったが)

土下座させられ

『うちの若いもんが飲みに行くかもしれねーから気をつけろよ❗』

『営業妨害だ』

『裁判で会おうな』と何回も言われ


もうヤクザですやんと思ったが(笑)


最後に『自分の意思で退職しました』と

強引に一筆書かされ

その場で即刻解雇

すぐに身支度をし

店をあとにしたのだった


すぐに弁護士に相談し

病院に行って頭突きで怪我をした

という証明の診断書を

とっといたほうがいいというのでその通りに

こっちは警戒していたが

特にこれ以上の妨害などはなかった


業者は確かに3社使えなくなったが

新しい業者も見つかった


急に私がいなくなったので

引き抜いたバイトはまだ残っていた

逆に残るように説得されたようだが

3人とも来てくれた


新店の内装工事も何事もなく

無事に終わった



たった9ヶ月しか準備期間が無く

猛スピードで駆け抜け

バレて窮地に立たされたが


無事に予定通りの日にちに

オープンする事ができた


様々な経験をさせてもらったが

やはり独りでは

ここまではできなかっただろう

支えてくれた

仲間には感謝している



今現在その当時から来てくれている

お客様は全体の10%しか過ぎない

その10%のお客様も

新しい90%のお客様も同じように感謝である

紆余曲折あったが

なんとか店を続けられている


今は守るべき家族の為

もっともっと頑張らなきゃですね⤴


以上、長々と
ご視聴ありがとうございましたm(._.)m